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2020.06.04

なり方、やりがい…レアなおシゴト図鑑 | Vol.18 ホペイロ

世の中にはさまざまなシゴトがあるけど、なかには就職情報サイトではなかなか見つけられないものも…。そんなちょっと意外なシゴトについている社会人を紹介します。

サッカー選手を支える、用具管理のプロ
ホペイロ

山川幸則さん
プロフィール●1975年東京都世田谷区生まれ。福祉関係の短期大学を卒業後、教育系出版社の営業やファミリーレストランの接客スタッフなどのアルバイトをしながら、ホペイロを目指す。99年、単身スペインに渡り、レアル・オビエド(当時スペイン1部リーグ)でホペイロのアシスタントを約3カ月間経験。帰国後、2000年にFC東京に加入。以来、ホペイロとしてスパイクやユニフォーム、トレーニングウェアなどの用具管理を担当。細やかな気遣いでチームを支えている。

 

日本で初めてプロのホペイロが採用されたのは1991年

 

――ホペイロの仕事内容について教えていただけますか?

スパイクやユニフォーム、ボールといったサッカー選手に必要な用具を管理したり、ドリンクの準備など選手が安心してピッチに立てるよう環境を整える仕事です。例えば練習が午前10時開始の場合、7時にはクラブハウスに入り、その日に使うウェアやスパイクといったアイテム約20点ほどを選手ごとにセッティングします。トレーニングウェアひとつでも、好みは選手それぞれ。体を動かしやすいようトップスは大きめのサイズでゆったりと着て、パンツは足に引っかからないようタイトなものを着たいという選手がいたり、さまざまなこだわりがあるので、毎年、開幕前のキャンプ中には把握し、覚えるようにしています。練習後にウェアなどの洗濯をするのもホペイロの仕事で、選手・スタッフを合わせて50人分を超える洗濯をします。
 
用具の中でもとくに細心の管理が求められるのは、スパイク。きれいに磨いておくのはもちろん、同じ種類のスパイクであっても、選手のプレーの特徴や好みに合わせてポイント(スパイクの底についている凹凸)の高さを変えるなどカスタマイズをします。練習後にスパイクのコンディションを見て補修したり、選手からの相談を受けて、足によりフィットするよう革を広げたりといった日々の調整もしますし、試合のときには芝生のコンディションに合わせてスパイクを選んだりもしますね。
 
用具の管理のほかに、僕の場合は遠征の際の運搬手段を手配したり、場合によっては、自分でトラックを運転して荷物を運んだりもします。「トラックの運転までするの?」とほかのチームのホペイロからは驚かれますが…。

 

――チームによって、仕事内容に違いがあるんですね。

管理する用具の範囲もそれぞれですし、チームマネージャーの仕事との境目が各チームによって異なるのがJリーグクラブの現状だと思います。海外の強豪クラブではスパイク専門、練習時のケア専門というように役割ごとにホペイロが置かれ、チーム全体で数名を雇うこともあるほど確立された職種ですが、日本で初めてプロのホペイロが採用されたのは1991年。最近ではホペイロを置くチームも増えていますが、Jリーグ56クラブ中1割ほどとまだ少なく、ホペイロがいないチームではマネージャーが選手の用具管理をサポートするケースが多いようです。
 
僕は2000年にFC東京に加入し、いつの間にか日本のホペイロの中ではキャリアが長い方になりました。その自分が、ホペイロでありながら「時にはトラックの運転もします」というようなことをお話するのは、もしかしたらほめられたものではないかもしれませんね。これからホペイロを置くクラブが「あれもこれもホペイロにお願いしよう」となれば、ホペイロが仕事を抱え過ぎてパンクしかねませんから。ただ、僕の場合は、たまたま運送会社で働いた経験があって、自分で運転した方が業務がスムーズに運ぶのでチームとも話して、そうしています。

 

はかないつてを頼り、ホペイロ修行のために24歳で単身スペインへ

 

――山川さんがホペイロになった経緯を教えていただけますか?

ホペイロという仕事を知ったのは、高校時代にブラジル国籍のホペイロを紹介するテレビ番組を観たのがきっかけでした。僕は小学生時代からサッカーをやっていましたが、上手ではなく、荷物運びばかりをしていました。でも、不思議と嫌ではなく、用具にも興味があって、チームメイトがかっこいいスパイクを履いていたりすると、お願いをして磨かせてもらったりしていたんです。だから、海外にはサッカーの用具を管理する仕事があると知って、やってみたいなと思いました。日本にはない職種でしたが、ちょうどJリーグが開幕したばかりでしたし、いずれはホペイロを置くクラブも出てくるかもしれないと考えました。
 
ただ、どうすればなれるのかがわからず、一度は社会福祉の短大に進学し、福祉施設に内定ももらっていました。それでも、あきらめきれず、短大卒業後は教育系出版社の営業や運送会社のドライバーなどのアルバイトをしながらJリーグの各クラブに問い合わせをして募集を探し続けました。
 
転機となったのは、1998年にフランスで開催されたワールドカップの観戦ツアーに参加したことです。現地で知り合った日本人ジャーナリストにホペイロを目指していることを話したところ、スペインのサッカー関係者を紹介してくれ、「今すぐ来れば、受け入れられるチームがあるかもしれない」ということで、スペイン語もまったく話せないまま、ホペイロ修行のために現地に渡りました。24歳の時です。
 
いざスペインに着くと、話の行き違いがあり、一時は「このまま観光だけして帰ることになるかもしれない」とやりきれない思いでした。そんなときに、再度日本人ジャーナリストの方が様子を見に来てくれて、彼の仲介で当時1部リーグだったレアル・オビエドの練習を見学させてもらえることになったんです。それで、最初は「見学だけなら」という話だったのですが、ホペイロのひとりが高齢で足の調子が悪く、つらそうだったので、自分から荷物運びを手伝ったんです。すると、翌日にジャージを渡され、その日から約3カ月間、ホペイロの基本的な技術や知識を学ばせてもらいました。

 

――FC東京に加入したきっかけは?

 
帰国後半年以上経ったころに、東京がJ1昇格のタイミングでホペイロを置くと知り、クラブに問い合わせをしました。残念ながら、すでにブラジル国籍のホペイロの採用が決まっているというお話でしたが、スペインでの経験を伝えたところ、「お会いしませんか?」と言ってもらえたんです。それで、当日うかがったところ、そのホペイロの来日がビザの関係で遅れているということがわかり、彼が到着するまでアルバイトをすることに。当初は数週間のはずが、そのホペイロの来日がさらに遅れ、キャンプにも参加。キャンプ後はクラブを離れる予定でしたが、選手たちがクラブとかけあってくれ、正式にホペイロとして採用されました。

 

ホペイロの仕事はチームが勝ってこそ評価されるもの

 

――以来、20年間FC東京でホペイロとして活躍されていますが、雇用形態は?

スポーツ選手と同様に個人事業主で、1年ごとの契約更新です。

 

――ホペイロとして仕事をしていて、大変だなと感じることは?

 
2020年になり、新型コロナウイルスの影響でリーグ戦が中断されました。さまざまな事情で環境に変化があった際、選手に影響しないよう対応していく難しさはいつも感じますね。例えば、J2リーグで戦った11年はアウェイ戦のほとんどが行ったことのないスタジアムで、荷物の搬入経路やロッカールームの様子も最初から調べなければいけませんでしたし、その翌年にACL(AFCチャンピオンズリーグ=アジア№1チームを決める大会)に初めて出場したときも大変でした。J2で優勝し、天皇杯に優勝して、ACL出場が決まったことはとてもうれしかったものの、リーグ戦用とACL用のユニフォームが一気に届いて、保管する場所もなく、パニック状態になってしまって…。その反省から、16年にACL出場が決定したときは、早めにスペースを確保するなど細心の注意を払って準備をしました。不測の事態に対応できるよう、先を読んで動くことを心がけていますが、理想通りにいかないこともありますね。

 

――ホペイロの仕事をしていて良かったと感じる瞬間は?

 
チームが試合に勝った瞬間です。とくに、チームが初めてタイトルを獲得した2004年のナビスコカップ(現YBCルヴァンカップ)は忘れられません。僕の仕事がチームの勝利に直接結びつくわけではないかもしれませんが、選手が全力を発揮できるよう自分も全力を尽くしたい。ホペイロの仕事もチームが勝ってこそ評価されるものだと思っています。
 
ただ、実は2004年のナビスコカップでは、悔しい思いも残りました。決勝が決まったあたりからチーム全体が浮足だっていて、優勝のゴールが決まった瞬間、大騒ぎ。僕も一緒になって興奮してしまい、選手たちの輪に向かって飛び出した瞬間、足を負傷してしまったのです。それでも、優勝した際に選手が着る記念Tシャツの入った箱を取りに行かなければならず、何とか優勝台のところまで運んだのですが、箱の底が抜けてしまって(笑)。混乱したなかで着替えをしたために、選手のひとりがユニフォームをどこかに置き忘れ、最後にユニフォームでの撮影をする際にやむを得ずジャージを着てもらうことになってしまいました。
 
それ以来、二度とそのようなことがないようどんなときも平常心を心がけるよう自分に言い聞かせ、2009年のナビスコカップで2回目の優勝を果たしたときは、冷静に記念Tシャツを運びました。初めて心から優勝を喜べて、うれしかったですね。このときは競技場ではとにかく仕事に集中していて気が張っていて、帰宅後にテレビで優勝の場面を見たときに涙があふれ出てきました。

 

――最後に、ホペイロに必要な資質について、お考えをお聞かせいただけますか?

 
観察力が大事かもしれません。例えば、練習中に選手の走り方や蹴り方の癖を見ていれば、この選手はスパイクのこのあたりの消耗が早そうだなとわかります。そうすると、練習後にスパイクのここをチェックしておこうと予測を立てやすくなるんです。
 
それから、自分で考えて動いてみる力も必要だと思います。先ほども話しましたが、日本ではまだまだホペイロが少なく、仕事のマニュアルのようなものはありません。ホペイロとして採用されたときに、「これは自分が率先してやっていい仕事なのだろうか」「やるべき仕事なのだろうか」と迷うこともきっとあると思います。そのときに、チーム全体のために自分が何をできるのかと考えて、まずはやってみる。すべてがうまくいくことばかりではありませんが、そのときは少しずつ修正してすり合わせていけばいい。妥協せずに、やってみるという姿勢が大事だなと僕自身も肝に銘じています。

 
※本文は2019年取材時の内容で掲載しております

取材・文/泉 彩子 撮影/鈴木慶子

 

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