各界の著名人に、これまでに出会った、プロとしてすごいと思った人、影響を受けた人など「こんな人と一緒に働きたい!」と思う人物像をインタビュー。
ミッションに対する情熱が、全身からあふれている人に魅力を感じる
たかひろ●本名・上野隆博。1981年、東京都生まれ。18歳から独学でダンスを始める。2004年玉川大学文学部卒業後、広告会社勤務を経て、04年末に渡米。05年、アポロシアターの「アマチュアナイト」ダンス部門に出場して勝ち抜き、ダンス部門で年間1位を獲得。翌06年はアポロシアターのテレビ版大会「Show time at the APOLLO」で9週連続優勝を果たし、米国でプロダンサーとしてデビュー。07年、日本でも本格的に活動を開始し、同年に開催された世界陸上大阪大会では、開会式の振り付けを担当。『Newsweek Japan』誌で「世界が尊敬する日本人100」に選出され(07年)、09年には『New York Times』紙で「脅威の表現者である」と評された。09年にはマドンナのワールドツアーにも参加(18カ所30公演)。振付師・演出家としても活躍しており、欅坂46『不協和音』『黒い羊』、日向坂46『青春の馬』、超特急『Party Maker』、SEKAI NO OWARI『ラフレシア』、矢沢永吉『魅せてくれ』などさまざまなアーティストの振付を担当。大阪芸術大学客員准教授、慈恵学園COMグループ名誉教育顧問を務めるなど、ダンスを伝える活動もしている。
スペシャリストの力だけでは、プロのダンサーとしてやっていけない
――就職活動のご経験もあるそうですね。
大学時代にダンスを始めて夢中になり、将来については何も考えていませんでした。親戚の経営する会社で働かせてもらうことになっていて、自分はそれでいいと思っていたんです。ところが、大学3年生のときに親戚が会社経営を退くことになり、はたと周囲を見渡すと、友人たちはとっくに就職活動を始めていて、面接を受けはじめているというような状況でした。
焦ったのは、自分がどんな仕事をしたいのか、具体的なイメージがまるきり浮かばなかったことです。一緒にダンスをやってきた仲間に話を聞くと、教師や農業、デザイナーなどダンス以外にやりたいことがあって、そのための準備もしているのに、僕が大学で打ち込んだのはダンスだけ。やりたいことがわからないまま、とりあえず就職活動をして1社内定をいただきましたが、日が経つごとに、心のなかで「ちょっと、待って」と問いかける声が大きくなっていきました。そこで本当にやりたいこともないまま入社して、自分が会社の役に立てるとは思えない。でも、採用してくれた会社にはとても感謝しているから、どうしよう…。悩みに悩んだ末に、内定を辞退しました。
その過程で、「じゃあ、僕は一体何がやりたいんだろう」と自問自答したとき、思い浮かぶのはダンスしかありませんでした。自分がダンサーとして稼いでいけるとは思えないけど、中途半端なままダンスをやめたくない。踏ん切りがつかないのは、ダンスをやり切ってないからだと思いました。だから、最後に大きな挑戦をして身の程を知り、「やりたいことはやり切った」と納得をして前に進もう。そう考えて、ヒップホップの聖地と言われるニューヨークのアポロシアターで開催される年間コンテスト「アマチュアナイト」のダンス部門に挑戦することに決めたんです。
――大学卒業後、契約社員として約1年間働いた後、渡米されました。渡米後はアポロシアターの「アマチュアナイト」ダンス部門で勝ち抜き、翌2007年には全米放送のテレビコンテストで歴代最多の9回の防衛に成功して殿堂入り。プロのダンサーとしてデビューし、マドンナのライブツアーに参加するなど実績を重ねる一方で、現在は振付師としても多くのアーティストを担当されています。アマチュアとしてダンスを踊ることと、プロとして求められるものの違いに戸惑うようなことはありませんでしたか?
うーん、「違い」はあまり感じませんでした。急にプロになったわけでなく、アマチュア時代の活動が段々と認められ声がかかったからだと思います。アメリカの人気テレビ番組で「殿堂入りチャンピオン」になって、「うちで踊ってみない?」と最初はパフォーマーとしてオファーをいただいて。それに応えているうちに舞台が大きくなり、僕のパフォーマンスを見てくれた方から「じゃあ、今度は教えられる?」「オリジナルの動きを作れる?」と声をかけていただいて、日本のテレビ番組でダンスを教えたり、アーティストの振付を担当したり…。自分の得意なことを1本の川だとすると、最初はちょろちょろと流れていた川が太くなって隣の川とつながり、水量が増えて枝分かれし、広がっていくというような感覚です。
ただ、隣の川とつながるには準備が必要で、その準備が自分には足りないと思い知らされることはありました。コンテストで名を知られて仕事が舞い込み、最初のころにテレビ番組のバックダンサーの仕事をいただいたんです。レッスンに行くと、一緒に踊るダンサーたちが「チャンピオンが来た!」と拍手で迎えてくれました。ところが、そのレッスンで、僕はステップを覚えることに手間取り、みんなができることがまったくできませんでした。僕はスペシャリストとしてオリジナルのスタイルは磨いてきたけれど、みんなと共有できる基本的な技術に欠けていたんです。「君のスタイルはリスペクトしているけれど、人と同じことができないと仕事にはならないよ」と振付師の方に言われ、その仕事はクビになってしまいました。
そのときに、スペシャリストであると同時にジェネラリストにならなければプロとしてはやっていけないと気づき、ダンス専門学校に3年半通って基礎から学び直しました。ヒップホップだけでなく、バレエやジャズ、タップダンスなどさまざまなジャンルを練習する日々でした。そうやってジェネラリストとしての力を高めていくと、バックダンサーの仕事が入るようになり、経験を積むにつれて「オリジナルのスタイルもあってすごいね」とスペシャリストとしての力も評価していただいて、仕事の幅が広がっていったんです。
トップレベルのアーティストの共通点は、発信をすることへの熱量
プロになったころは周囲と比べて自分が劣っていると感じ、悩んだこともある。「でも、僕のスタイルは僕にしかできない。ひとりでも僕のダンスが好きと言ってくれる人がいるのならこのスタイルを温めようと決めてからは、周りは気にならなくなりました」。
――マドンナや欅坂46、超特急などそうそうたる顔ぶれの方々とお仕事をされていますね。トップレベルのアーティストの共通点は何だと思われますか?
能動的であることだと思います。受信者ではなく、発信者であることが共通していて、発信をすることへの熱量がものすごい。例えば、一般的にアーティストのショーのリハーサルは1カ月ほどですが、マドンナのワールドツアーは再演にもかかわらず、3カ月でした。普通なら完成とされるようなレベルから、さらに時間をかけて「そこの手の角度はもう2度上げた方がいいんじゃない?」「目の動かし方をこう変えよう」と突き詰めていく。特別なことをしているわけではないのですが、一つひとつの表現を追求する欲が強いんです。
欅坂46など振付を担当させていただいている日本のアーティストの方々もそうです。同じことを繰り返すのではなく、「この振りはこうした方が、今の自分たちに合う」「今回のライブではお客さんが遠いからフォーメーションを広めに変えてみよう」と常に発信をしていく。その力にはすさまじいものがあります。
ただ、皆さん、「完璧人間」ではないんですよ。「もうイヤだ」「つらい」と思うときもあるだろうし、「今日はなんか、ステージに上がるのが怖い気がする」と緊張しているときもあります。それでも、自分たちがその先につかみたいものがあったり、新たなものを発信していくんだという強い思いがあるから、前に進み続けていくのだと思います。
オーディションで、作品や志望する役の魅力を熱く語る人は、100人にひとりもいない
キャリアを切り開くために大切なことは、「常に半歩、知らない場所に行くこと」とTAKAHIROさん。「知っている場所にとどまっていると、可能性は広がらない。『ちょっと無理かも。でも、やってみよう』というくらいの場所に行くことを常に意識しています」。
――TAKAHIROさんは振付師や演出家としてオーディションの審査をされる機会も多いですよね。また、ダンサーのエージェントを主宰されており、経営者として採用に携わる場面もあると思います。一緒に働く人を選ぶ際に、基準とされていることはありますか?
どこかに自分よりすごい部分を持っていること。そして、そのミッションをやりたくてたまらないという情熱があるかどうかです。好きで好きでたまらないという人と一緒にやりたい。情熱のある人は、「なぜそれをやりたいのか」というストーリーを持っていて、言葉は上手でなくても、そのストーリーを熱く語ってくれます。
そういう人って、意外と多くないんです。例えば、舞台のオーディションで「なぜこの役をやりたいんですか?」と聞いたときに、その作品や役の魅力について熱く語れて、「この作品だから、この役だからこそやりたいんです」と言う人は100人にひとりもいない。たいていの人は、経歴や技術といった「自分が今、持っているもの」について語ります。
だけど、一緒に働く人を選ぶのは、恋愛と同じだと思うんです。「僕はこんなにすごいんです」と自分のアピールに終始して、なぜ自分が向かい合う相手のことを好きなのかわからない人よりも、「あなたが好きなんです。だから、僕はこんなふうに自分を磨いてきました」と求愛してくれる人がいい。「もう、あなたじゃなきゃ、ダメだ。そしてあなたとなら幾千の山も越えられる!」というような、情熱が全身からあふれている人に魅力を感じます。
Information
著書『ゼロは最強』(光文社/定価:税抜1400円)。「子どものころから勉強もスポーツも苦手で、コンプレックスのかたまりだった」というTAKAHIROさんがダンスに出合い、ダンスのプロとして道を切り開いていく過程と、人生やキャリアに対する考え方が綴られている。
取材・文/泉 彩子 撮影/刑部友康