各界の著名人に、これまでに出会った、プロとしてすごいと思った人、影響を受けた人など「こんな人と一緒に働きたい!」と思う人物像をインタビュー。
生意気でもいい。自分の意見を持っている人と仕事がしたい
くりはら・じん●北海道生まれ。1993年、大学の商学部卒業後、日本テレビ入社。2001年から04年まで放送された投資バラエティ番組『¥マネーの虎』を企画・総合選出・プロデュース。『¥マネーの虎』は大人気番組となり、日本で放送終了後、海外へ輸出。現地版を製作する際には自ら世界各国へ出向き、演出・監修指導に携わる。世界35カ国以上に番組制作のマニュアルが販売され、現在184の国と地域で放送されている。その後も『さんま&SMAP 美女と野獣スペシャル』『伊東家の食卓』『行列のできる法律相談所』『松本人志中居正広VS日本テレビ』『ぐるぐるナインティナイン』『踊る!さんま御殿!!』など数々の人気番組を担当。13年からドラマ制作も兼任し、伝説のギャグ漫画『天才バカボン』を実写ドラマ化。これまでに3作が放送されている。
就職活動で60社を訪問し、「ここで働きたい!」と思える会社に出合った
――栗原さんは今でこそ、日本テレビのプロデューサーとしてたくさんの人気番組を生み出していらっしゃいますが、就職活動でもともと志望していたのは「商社」だったそうですね。
商学部で貿易論を専攻していて、フィリピンでバナナのプランテーションを視察し、現地の人たちの働く環境に問題意識を持っていて「どうにかできないか…」と考えている学生でした。ただ、就職には無頓着で、大学3年の終わりになって周りが熱心に就職活動を始めるなか、海外へ旅に出かけて…。
その旅先でたまたま知り合ったフリーの報道カメラマンの方が、僕が大学4年生になると聞いて「就職活動は、いろいろな会社を知ることのできる、人生でめったにない機会。面白いからやってみた方がいいよ」と言ってくれたんです。なるほどと思い、せっかくだから商社に限らず、ありとあらゆる業界をのぞいてみようと、さまざまな会社に応募しました。で、ちょこちょこと面接を受けはじめたら、「同じ業界でも、会社にはそれぞれ特色があって面白いな」と感じたんです。
――例えば、どんな違いをお感じになりましたか?
ある大手メーカーの面接を受けた時に、「もし自分が入社したら、会社をこう変えたい!」とビジネス戦略や商品について前向きに自分の意見を話したら、「うちの会社は業界トップだから、会社を変える必要がないんだよ。君のようにやる気のある人が入っても、困る」というような超ネガティブな反応だったんですね。それには驚きました。今考えると、ずいぶん生意気なことを言ったなとは思うんですけど…(笑)。でも、その会社のライバルメーカーでは、しっかりと僕の話を聞いてくれました。
その時に「あ、会社というのはCMのイメージとはずいぶん違うから、やっぱりたくさん訪問した方がいいな」と感じて…。最終的に60社ほどに応募しました。テレビ局を受けた理由は単純で、マスコミは選考時期が早かったから。マスコミの中でもとくに早いのがアナウンサー試験だったので、最初はアナウンサー試験を受けたんですよ。そうしたら、地方のテレビ局で最終選考まで進んだので、「意外とアナウンサーに向いているのかも」と日本テレビのアナウンサー試験も受けたんです。でも、面接開始後すぐに「落ちた…」と感じました。
――どうしてですか?
当時は5人一列で並んで椅子に座り、その場でニュース原稿を渡されて、一人ずつ読むという選考でした。僕の順番が来て読んだのですが、ものの30秒もしないうちに「ありがとうございました」と言われ、終了。ほかの学生は最後までニュース原稿を読み、質問をされたのですが、僕だけ質問がなかったんです。「あれ?」と思い、面接担当者に「最後に何か質問があれば、どうぞ」と言われたときにすかさず手を挙げて、「すみません! 僕、落ちましたよね…? できれば、理由を教えていただけませんか」と聞いたんです。すると、プロ野球中継の実況アナウンサーとして有名だった小川光明さんが、ていねいな口調で「栗原さんはサ行の空気が抜けるんです。これはアナウンサーとしては致命的なんですよ」と教えてくれました。
ショックを受け、思わず「僕、他局のアナウンサー試験では残っているんですけど」と口にしたら、「会社によって選考基準が異なるので。多分栗原さんはアナウンス能力ではなく、キャラクターを含めてほかの要素で評価されたのでは」と説明してくださり、すごく納得できたんです。不合格の理由を教えてくれたことをありがたいと思いましたし、「すごく誠実で、きちんとした会社だな」と感じ、「ここで働きたい!」と。それで、約1カ月後、総合職の採用試験も受けたら、幸運にも合格したんです。報道記者志望だったのに制作現場に配属されたり、入社後も紆余曲折はありましたが、ご縁には感謝しています(笑)。
ADは、ディレクターが指示したことだけをやる「使いっ走り」ではない
仕事で接する20代への印象をうかがうと、「僕たちの世代と違って物欲もないし、何と言うか、あまり執着がない。でも、その違いが面白いですよね。新たなものが生まれるような気がします」と話す。
――現在ではご自身が採用面接されることもあるとか。どんな応募者に魅力をお感じになりますか?
毎年、会社の選考基準は違いますが、僕はいろいろな個性を持った人と働きたいので、魅力を感じる応募者のタイプはさまざまです。「テレビの仕事がしたい」「この会社で働きたい」という熱のようなものがある人がいいですね。そういう人に共通しているのは、いろいろなテレビ番組を見たり、会社の事業について徹底的に調べたり、熱意を感じさせるだけの「準備」ができていること。最近は「テレビはあまり見ません」と面接で堂々と話す人もいますが、それ自体の是非はともかく、「なぜテレビ局を志望するのか」を面接担当者に伝えられるだけの材料を準備できていない人は、「どうして応募したんだろう?」と不思議に思ってしまいます。
実は、僕も学生時代にテレビをたくさん見ていたわけではないんですよ。高校まではほとんどテレビを見ない家で育ちましたから。でも、就職活動でテレビ局を受けると決めてからは、ものすごくたくさんテレビを見ました。いろいろな番組を片っ端から録画して見てみると、同じ時間帯のニュース番組でもテレビ局ごとに特色があることがわかりました。そうすると、面接で話す志望動機にも、おのずと熱がこもるんですよね。
――後輩世代とも日常的にお仕事をされていると思いますが、どんな人と「一緒に働きたい」とお感じになりますか?
自分の意見を持っている人と働きたいですね。社会をあまり知らないので、考えていることなんてたいした意見ではないかもしれませんし、先輩に意見を言うと生意気だと思われるかもしれないけど、それでもいいんです。主体的に物事を考えること自体が、仕事をするうえでの血となり、肉となるので。
僕はよくAD(アシスタント・ディレクター)たちに「ADというのは、ディレクターのアシスタントなんだよ」という話をします。当たり前だと思うかもしれませんが、メディアの影響もあって、「AD=使いっ走り」というイメージを持っている人も少なくないんですね。でも、ADというのは「使いっ走り」じゃない。資料をそろえたり、ロケの準備をしたり、ときにはお茶を出したりするのは、それ自体がゴール(目的)なのではなく、ディレクターの補佐として良い番組をつくるため。だから、ディレクターの指示通りに物事をこなすだけではダメで、突然ディレクターが倒れたとしても、自分が急きょディレクターとなって現場を仕切ることができるように「準備」しておかなければなりません。つまり、いつでも独り立ちできるように、常に「自分がディレクターなら、どうするか?」と考えながら仕事をするのが大事だよと言っています。
こういう話をするのは、僕自身が若手のころ、なかなかチャンスに恵まれなかったからです。僕が入社したころの日本テレビは『進め!電波少年』や『マジカル頭脳パワー!!』といったヒット番組を連発しており、視聴率トップの座をキープし続けていました。スター級のディレクターが上にひしめいていて、番組が終了せず、若手には企画書を出す機会すらないという状況でした。
機会がないなら自分で機会をつくろうと、企画書を書いてはプロデューサーに持って行きましたが、取り合ってもらえません。それでも、目の前の仕事を一生懸命やりながら、企画書は書き続けました。ようやくチャンスがめぐってきたのは入社9年目。約10年ぶりに大々的な企画募集が行われ、書き溜めていた企画を含めて20本以上の企画を提出しました。そのうちの1本を『¥マネーの虎(※)』という番組として世に出すことができたんです。このときになんとかディレクターとして力を発揮できたのは、AD時代に「自分がディレクターなら、どうするかな?」という視点で現場の仕事に向き合い、ノウハウを蓄積してきたことの影響も大きいと思います。
※2001年から04年まで放送された投資バラエティ番組。夢や野望を持つ志願者が年商10億円を超える社長たちにプレゼンをして、資金を勝ち取るという斬新な企画で、深夜番組にもかかわらず話題を呼び、ゴールデン枠に進出するほどの人気番組となった。
――「準備」を重ねていたからこそ、いざチャンスがめぐってきた時に結果が出せたんですね。
言われてみれば、そうかもしれません。でも、当時はそんなことを考える余裕はありませんでした(笑)。「今自分にできることを、一生懸命やろう」という感じでしたね。
馴れ合いの関係からは、同じものしか生まれない
テレビ番組に限らず、「これはこんな媒体で世に出したら、面白そうだ」と常に企画を考えている。「考えるのは、お金がかからないですから(笑)。極端なことを言うと、24時間ずっと考えています。サウナでマッサージを受けていても、ずっと考えています」と栗原さん。
――仕事をするうえで影響を受けた先輩はいますか?
それが…、僕には番組づくりにおいての「会社の先輩=師匠」という人がいないんですよ。というのも、今は制作体制がかなり変わったのですが、僕が若手のころは多くの番組を制作会社に外注していました。僕は担当番組が変わるごとに違う制作会社にポンと派遣されて…。外部のスタッフの中で、日本テレビの社員は僕ひとりということが珍しくありませんでした。つまり、制作会社によって仕事のスタイルがまったく違うので、日テレの「会社の先輩」のやり方を真似るということができなかったんです。
振り返ってみると、これは僕にとって幸運でした。おかげでたくさんの制作会社や優秀なフリーのディレクターの仕事ぶりに触れることができ、「引き出し」を増やすことができたからです。日テレの特定の「会社の先輩」のもとでずっとキャリアを積んでいたら、仕事は覚えやすかったと思いますが、その先輩の“二番煎じ”のような仕事をしてしまっていたかもしれません。
今でもいろいろな人と仕事をするというのは意識的にやっていて、その理由は常に“新しいもの”をつくりたいからです。馴れ合いの関係からは同じものしか生まれないと考えているので、番組に出演していただく方も「以前一緒に仕事をしてうまくいったから、また一緒に」というノリで選ぶことはありません。「この企画は、この方じゃないと成立しない!」という理由で出演依頼をします。
そうなると必然的に一緒に仕事をするのは「一見さん」が多くなります。その場合、イチから関係性を築かなければならず、出演を承諾していただくにもハードルが高いので、首を縦に振っていただくために思いつく限りの手を尽くします。また、出演していただけると決まったら、とにかく気持ち良く仕事をしていただくために、「差し入れ」ひとつにまで徹底的にこだわります。
そこまでする理由は、気に入ってもらいたいとか、ご機嫌を取りたいのではありません。出演者には良い仕事ができるための環境を整えあげて、全力で仕事をしていただきたいからです。僕の番組に出演してくださる方々は、お忙しい方ばかりです。その方にとっては、20個ある仕事のうちのひとつかもしれません。でも、20分の1の力でやっていただいては困ります。20個のうちで、一番力を入れてやってほしい。贅沢を言えば、僕の番組のことだけを考えてほしいんです(笑)。そのためには、僕自身が誰よりも「準備」と「努力」をしなければいけないと思っています!
Information
栗原さんの著書『すごい準備 誰でもできるけど、誰もやっていない成功のコツ!』(アスコム)。25年のキャリアで培った「ヒットの秘密」や「相手の心を動かす技術」のキモは「準備」にあった! 相手に自分の思いを伝えるための「準備ノート」のつくり方や「口説きの戦略図」など具体的なメソッドとともに、テレビ制作のマル秘裏話を知ることができるエピソードも満載。
取材・文/泉 彩子 撮影/鈴木 慶子