【個人と組織の新たなつながり方】Vol.16 株式会社本田技術研究所
株式会社本田技術研究所は、博士課程在籍者のキャリア採用(中途採用)を強化しています。博士人材の採用を強化する背景、博士課程在籍者を社会人経験有無によらずキャリア採用で採用する理由、博士人材採用の現場への影響について、人事企画ブロックマネージャーの笹野真紀さん、先進技術研究所フロンティアロボティクス領域のエグゼクティブチーフエンジニア・吉池孝英さん、そして博士課程在籍中に同社に入社することを決めた小山裕暉さんに、お話をうかがいました。
※記事は、2025年1月9日に取材した内容で掲載しております。
【統括機能センター 企画室 人事企画ブロックマネージャー 笹野真紀さん(左)】
1999年新卒入社。人事領域各種業務に携わる。2021年採用・人材育成を統括する人材開発課 課長に就任。2024年4月より現在の所属。【先進技術研究所 フロンティアロボティクス領域 エグゼクティブチーフエンジニア 吉池孝英さん(右)】
1998年新卒入社。ASIMOなどのロボット開発に携わる。2009年から3年間はドイツに駐在し、ロボットの走行から手にフォーカスして学習技術を入れながら進化させる研究を行う。2019年4月より現在の所属。【先進技術研究所 フロンティアロボティクス領域 小山裕暉さん(中央)】
2023年キャリア採用入社。 Avatar Robotの制御技術の研究開発に携わる。2023年4月より現在の所属。【株式会社本田技術研究所】
1960年に本田技研工業の研究開発部門が分離、独立するかたちで設立。目先の業績に左右されない自由な研究開発環境を実現する組織として、Hondaの新技術の基礎応用研究と技術開発、新価値商品の研究開発における中核的役割を担っている。
選考や入社時期の柔軟性、業務領域の明確化の観点で「キャリア採用」枠を拡大
―本田技術研究所の博士採用の状況を教えてください。
笹野:2024年度の博士人材(※1)の採用数は25名です。2023年度は11名、2022年度は4名でしたので、大幅に増加しています。博士人材採用は10年以上前から実施してきましたが、さらに強化していきたいと考えています。もともとは自動運転領域、航空宇宙領域、ロボティクス領域などの基礎研究領域での採用が中心でしたが、2023年度からは燃料電池や半導体、生産技術領域などの先行開発や量産領域でも、博士人材を採用しています。
本田技術研究所は、将来の事業の柱となる先進的な研究開発を行っています。技術が確立されていない研究途上の領域においては、大学等との共同研究も積極的に行っており、博士人材との関わりも多くなっています。とくに近年は、高度な知識を持つ人材である博士課程在籍者を社会人経験の有無によらず「キャリア採用」(中途採用)枠で採用することで、職種のマッチングや入社時期の柔軟性を高め、幅広い人材に来ていただけるようにしています。
―新卒採用ではなく、キャリア採用の形をとるようになった背景にはどんな思いがありましたか。
笹野:博士人材は特定の専門分野を深く研究されています。そのため入社後の配属部署が未確定という採用形式ではなく、どの部署で、どのような業務に携わっていただくかを決めた上で入社していただくキャリア採用のほうが、当社にとっても博士人材の方々にとっても入社後の活躍によりつながりやすいと考えています。
また、博士課程在籍者は研究が忙しく、新卒一括採用の時期に合わせて複数企業の選考を集中的に受けるのは難しいでしょう。当社のキャリア採用では博士課程在籍者が応募時期、面接時期を選択できますし、博士課程の修了後に入社をすることが可能です。当社と博士課程在籍者の双方が最適なスケジュールで動ける点で、キャリア採用のメリットは大きいと思っています。
吉池:博士課程の修了条件はシビアですから、「学会に投稿していた論文が掲載拒絶された」「修了が半年延期になった」といったケースも少なくありません。もちろん、優秀な方にはすぐに来てほしい気持ちはありますが、修了時期が延びる事情は理解しています。
当社は中長期的な未来を見据えた研究開発に取り組んでいるので、半年、1年の入社タイミングのズレは大きな問題ではありません。それよりも、しっかりとした専門知識のベースがある方に来ていただきたい。研究所が持つ特性と博士人材採用は、ニーズが合致しているなと感じますね。
―博士人材採用を進める上での難しさには、どんなことがありましたか。
吉池:当社が博士人材採用をしていることが、博士課程在籍者に認知されておらず、なかなか応募いただけない時期が続いてきました。私たちは一緒に仕事がしたいと思っていたけれど、博士課程在籍者との接点が十分に持てていませんでした。そこで当社社員が出身大学の研究室の後輩に声をかけたり、さまざまな学会に足を運び博士課程在籍者の方々と名刺交換をしたりと、地道な活動をしてきました。
―そこから、博士課程在籍者の応募を増やしていくために、どのような取り組みを進めていますか。
笹野:当社では年に3回、博士課程在籍者向けのオンラインセミナーを実施し、入社後にどのように活躍いただけるか、どのようなキャリアパスがあるのかといった話を、直接社員から聞ける場を作っています。イベントをきっかけに、当社が博士採用をしていることが、博士課程在籍者に少しずつ知られるようになっています。
吉池:研究室や学会を通じてつながり、当研究所に興味を持っていただけた博士課程在籍者には、セミナーをご案内し、必要があれば個別にオンライン相談を受けることもあります。少数ではありますが、国際学会の場で海外の研究者や、海外の大学から応募したいという方にもお会いしています。
研究プロセスで得た高いコミュニケーションスキルも博士人材の強み
―日本国内の民間企業では、博士人材採用が浸透していないようにも見えます。「博士人材は専門性が高いゆえに活躍が難しい」といったイメージもありそうです。貴社において、博士採用に対するイメージや懸念はありましたか。
吉池:当社は上司・部下の関係なく、「技術のもとに平等である」という姿勢で仕事をします。Hondaフィロソフィーに「人間尊重」という言葉がありますが、やりたいことや夢がある人には、バックグラウンドに関係なく一律平等にチャンスが与えられます。博士人材はHondaのカルチャーに合っていると思います。
当社でも例えば、博士課程を修了したばかりの入社1年目社員と入社30年目のベテラン社員とが日常的にディスカッションしています。“異能の人”への尊敬と、異能を大事にするという考えが根付いているので、専門性という尖った個性を持った人を「扱いにくい」とは考えません。お互いに意見を戦わせながら、新しい価値を生み出していく同志だと捉えています。
博士課程在籍者を「キャリア採用」の枠組みで考えるとき、「社会人経験がないので、即戦力人材として通用しないのではないか」との考え方があるのかもしれません。でも、実際に博士人材の方と面接で話していると、組織内コミュニケーションの観点で、まったく心配を感じないことが多いです。
博士課程在籍者は研究室の中で、上には教授がいて、下には学部生や修士の学生がいる、いわば”中間管理職“のようなポジションで研究活動を続けています。学生からは進路や研究進捗を相談され、アドバイスしたり、モチベーションを引き出すように個々に合わせたフォローをしたりと、メンバーマネジメントの力を日々鍛えられています。ときに教授との間で板挟みになることもあります。そこで発揮されるコミュニケーション力は、社会人になって十分通用するものであり、頼もしいと感じる方ばかりです。
これまで私たちはハードウェアを中心とした研究開発を続けてきましたが、昨今はソフトウェア開発、AI化に大きくシフトしており、蓄積してきた技術をどう使うかという視点に加え、ユニークな技術を生み出す力が求められています。新しい技術によって社会を大きく変えていきたい、そんな思いを持った人材を求める上で、探究心と専門性を兼ね備えた博士課程在籍者は非常にマッチします。
―博士課程在籍中に本田技術研究所への入社を決めた小山さんは、博士課程ではどのような研究をされていたのでしょうか?また、博士課程での研究は、今の業務にどうつながっているのでしょうか。
小山:大学では医療ロボットの自律化の研究をしていました。目の中や脳の中といった微細な部分を対象とし、ロボットが一部タスクを代行できるようになれば、経験の浅い医師でも手術ができるようになる、また、自動化とヒトの操作とを合わせることで新たな術式につながると考えていました。
当社を選んだのは、「ロボットの自律化」に共通点を見出したからです。自律化したロボットによる手術の自動化は、現時点では法整備が追いついておらず、社会実装が難しいと認識しています。医療業界のほかに、自律化したロボットという切り口で研究を生かせる場所を探していたとき、当社が遠隔で人の能力を拡張できるアバターロボットおよび自律化したシステムによる遠隔操作サポートシステムの開発に注力していると知りました。ここだ!と思いましたね。
―そもそも修士から博士への進学を決めた理由は何でしたか。また、卒業後のキャリアが限定されるといった不安、懸念はありましたか。
小山:修士課程在籍時にはインターンシップに行き、民間企業に就職するのと博士課程に進むのと、どちらが自身の今後の成長につながるか検討した時期もありました。その結果、これから長い人生、何十年と仕事をしていくのなら、3年くらい別の経験をしたほうが面白いかな、という結論に至りました。私の研究領域は、自動化技術など実社会で普遍的に通用するものが多かったので、就職への不安もあまり感じていませんでした。
ほかにも、世界を舞台に戦いたいという思いから、海外とのコネクションが強い研究室で博士として交換留学したいとも考えていました。ロボット研究は、実際にロボットを動かす段階に行くまでに時間がかかり、修士を終えたときは「ようやくこれからロボットを動かせる!」というタイミングでした。やり切ったと言える段階ではなく、今研究を止めて就職してしまうのはもったいないと思いました。
―どのような就職活動を経て、本田技術研究所を知り、入社を決めたのでしょうか。
小山:研究が忙しく、就職活動にかける時間があまりとれなかったので、エージェントに希望を伝えておき、紹介してもらった企業に接触してみるという形で進めていました。進路の選択肢にはポスドク研究員の道もありました。ただ、環境を大きく変えて社会に出たい気持ちが強く、助教からも、「一度民間企業に就職してから戻ってきたほうが、着任時の給与交渉もしやすいかもしれないし、経験を積む上でもいいのでは」とアドバイスされました。
当社に引かれたのは、私が研究していた遠隔操作の自立支援技術が、当社のアバターロボットプロジェクトとぴったりマッチすると感じたからです。企業選びの際、やりたいと思った分野のポジションに本当に就けるのか、は重要視していましたが、当社の募集要項には具体的な業務内容まで書かれており、やりたいこととのズレがありませんでした。ほかの企業では、産業用ロボットによる研究開発がメインな中で、当社は人型ロボットを用いて「現状の社会課題を解決していこう」「自分たちで新しい市場を創っていこう」という壮大な研究コンセプトがあり、そこがもっとも魅力的でした。
―博士課程での研究内容や経験を生かせていると感じることがあれば教えてください。
小山:現在はロボット制御領域を担当しており、制御の根幹になっている技術や使っているシステム自体に同じものが多く、すぐに慣れることができました。
研究を進める上で、ストーリーを構築していくことは欠かせません。そこは、博士時代に学部生の研究進捗を見ながら手伝っていた部分であり、今のチームでも「この先まで考えておくべきではないか」などと先を見越して意見することがあります。博士課程で揉まれた経験は生きているなと感じています。
一方で、学術研究の世界と違うなと感じるのは、「この技術がどんな社会課題を解決するのか」を徹底して意識する姿勢です。博士課程在籍中も、学位論文を執筆する際等には研究の社会的意義を明確にすることが求められますが、後付け気味に考えてしまうこともあります。私自身も博士課程で研究していた中では、「どういう論文を出せるだろうか」という目先のことに意識が向かうことも多かったです。学術論文であれば、社会的意義を示すのはもちろんなのですが、新たな手法や発見の意義がより重要視されるように感じます。
一方で当社では、求められる社会的意義へのウェイトはより大きいです。どう社会や人の暮らしに貢献できるかを明示できなければ、研究はスタートしません。その視野は、社会人になってぐんと広がりました。
生みの苦しみから逃げないメンタリティが、社内に刺激をもたらしている
―博士人材が持つ強みや特徴をどう捉えていますか。博士人材を増やしていくことが、社内にどのような影響をもたらすとお考えですか。
吉池:博士人材の方は、自分の研究が世界の中でどの立ち位置にいるかを俯瞰する能力に長けています。会社に入っても、「競合が多くいる中で、自分の技術・自社の技術は世界から見てどのあたりの位置にあり、どのような価値があるのか」を常に自問し、メタ認知できています。それが博士人材の大きな強みでしょう。
また、課題を掘り下げる分析力も非常に高いです。博士人材の方は、3年間という期限の中で、新しい視点を生み出す苦しみに耐えながら、論文として研究成果を完成させた経験があります。研究の辛さ、大変さから逃げずに価値創造を追究していくメンタリティが強いのです。開発の過程では、最後の最後で「課題のハードルを下げて、既存の技術を使って無難なところに落ち着けたい」と考えたくなることもあります。でもそこで、「私たちが掲げている目標はもっと高いところにある」と立ち戻れるのが博士人材の方々です。そのマインドセットは、周りにもとてもいい影響をもたらしていると感じています。
―最後に、博士課程への進学を検討されている学生や、博士課程在籍者に向けてメッセージをお願いします。
吉池:企業は博士人材を、技術力や専門的な知識だけではなく、コミュニケーション力やマネジメント経験などを総合的に見て評価しています。アカデミアの世界で戦っていける人材に対して、私たちは羨望と尊敬の思いを持っています。ぜひ、自らの研究関心領域にとことん向き合い、世界と戦った経験を自信に、次のキャリアに挑戦していってほしいです。
小山:博士課程進学後のキャリアについては、マイナスイメージを持っている方もいるかもしれません。でも、博士課程は、ビジネススキルを含めて社会に出てから通用する能力を多く身につけられるフィールドです。
また、狭い研究領域であったとしても、世界と戦う経験を経て、良い意味で「世界ってこんなものか」と思えるくらいに度胸がつきます。私は、いずれはロボット研究の分野で、世界中で自分の名前が知られるような研究者になりたいと思っています。そう思えるのも、博士課程を通じて、自分の目標の基準が上がったからだと思っています。
研究は出口が見えずに苦しい時期もたくさんあると思います。でも博士課程を修了してみると、苦しみを知っているからこそのプラス面に気付けるはず。そう信じて、自分の探究心のままに突き進んでいってほしいです。
取材・文/田中瑠子 撮影/鈴木寿教(CURBON)
※1 博士課程在籍者および博士号取得者(ポストドクター等)含む